成功とは自分を変えるということ
例えば、今こうして生きているのは、ボク自身がそう願った結果からなのだろうか。この場合の「生きている」というのは、息を吸ってはいて、という意味ではなく、40歳という年齢に達した今、こうして何回かの転職を経て、仕事をして、家庭を持ち、家のローンを抱え・・・という意味のことだ。ボクはこういう人生を歩もうと思っていたのだろうか。
自分自身でまだその答えが見つかったわけでも、納得しているわけでもないのだが、少なくとも、自分の今まで生きてきた過程が原因となり、今という結果が生まれているのかもしれない、ということを考えさせられる機会となったことは認める。
そういう思いを巡らされたきっかけとなった本が「原因と結果の法則(ジェームス・アレン著)」だ。オーディオブックで聴いたので、実際には音として記憶している。
― 「私達は考えた通りの人間である」、
「心の中の思いが私達を作っている」、
「『環境』は『思い』から生まれる」、―
―人間は環境を変えることには積極的だが、自分自身を変えることには消極的である。環境がなかなか変わらない理由はここにある。―
環境を変えなければ・・・。という言葉はあちらこちらでよく聴かれると思う。ところが環境を変えるのではなく、自分を変えるというのだ。「自分」=「原因」であり、「環境」=「結果」ということになる。なるほど、結果を変えようとしたって変わるわけはない。原因となる根本的問題を変えることで結果が変わる。つまり、自分を変える。
また、結果には成功と失敗の2種類がある。どちらに当てはまるのかは自分次第だ。失敗だと思うのであれば、次に成功するように努力することだ。つまり、自分を変えることだ。「原因と結果の法則」では、成功についてこうも言っている。
― 成功を願うのならば、それ相当の自己犠牲を払わなければならない。―
自己犠牲とは、現状の自分に満足するのではなく、今までの自分を変える、ということに他ならない。好きなことだけする、できることだけする、だけでは自分は変えられない。成功するとは今まで出来なかったことが出来るようになるということと同義だ。だから出来ないことを出来るように努力するという、自己犠牲が必要となる。
例えば、子どもを例にとると、どうしても2桁以上の掛け算が苦手だとする。その子どもはその苦手な2桁以上の掛け算を出来るようになりたいと思っている。ではどうするか。願うだけでは出来るようにはなれないことぐらいは子どもでも分かる。そこで、好きなDSをやる時間を減らし、計算ドリルを毎日欠かさずやる。1ヶ月それを継続するとする。やがてその子は2桁以上の計算が苦手ではなくなり、スイスイと計算ができるようになる。この好きなDSをやる時間を計算ドリルをする時間に充てるということがその子にとっての自己犠牲なのである。その自己犠牲の結果、成功が積み重なる。
― 成功する人=自分の人生に納得できる人 ―
そういえば、唐突だが、前回引用した書籍「ガルシアからの手紙」にも成功についてこう記されてあった。
― 賢い人とは、他人の失敗から学び取り、愚かな人は、自らの失敗からすら何も学ばない。 ―
また、数年前に読んだ「Letters To Me(アレックス・ロビラ著)」にも成功について、書かれていたことを思い出した。何かの引用だったのだろうか、とにかくボクはこの言葉を、今でも続けている日記帳の端に当時記してあったのだ。
― 「勝者とは、成功を伴侶とし、失敗を友人とできる者のことである」失敗から、人は力強い根を張る道を選ぶのでしょう。―
ボクは、「失敗してもいいんだ、友達になれる失敗なら」と変に気が楽になったことを思い出した。もちろん、それには自分を変えるという努力が必要とされるのだが。
感謝。



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