「学力」=「好きになる力」
ボクが本を読む理由って何だろう、と考えてみた時に、それは、「学び」を学ぶためではないだろうか、というところにたどり着いた。ボクがここでいう「学び」とは、いくつかある。
1つは、学ぼうという意欲。人間学ぼうと思わなくなったら、脳も心も、もしかすると身体まで一気に衰えてしまいそうな気がする。その学ぶ意欲を持ち続けるためにも本を読む。
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に知識、ノウハウを知るため。インプットだ。その時々で、身につけなければならない知識、身につけたい方法は違うだろうが、まず活字から入っていくことで
ボクにはスムーズに頭に入っていく。本を読みながらも、WEBも併用するのだが、WEBだけだと読む」というよりも「見る」方にどうしても「比重がかかっ
てしまう。
そして、さらにもう1つは、身につけたことや感じたことを今後の自分にどう活かすのかということ。つまりアウトプット。それはそれで間違ってはいないはずだけど、ボクはまだまだきっと軽い。
― 「本当に対象のことが好きなのかどうなのか、とにかく相当勉強してみないとわからないんだよ」 ― (「私塾のすすめ―ここから創造が生まれる」 斉藤孝/梅田望夫・著 <以下、私塾のすすめ> 梅田氏の言葉から引用)
例えば学ぶ意欲とはどこから来るのだろう。きっとそれは学ぶ事柄が「好き」だからこそ意欲がふつふつと無限大に広がってくるのだろう。「仕事だから・・・」とか「人に言われたから・・・」では意欲も低い。いや、理由が仕事であったとしても、人から言われて渋々だったとしても、きっかけは何であれ、その対象の事をだんだんと好きになっていければよい。でも、好きになるためには、梅田氏の言うように相当勉強しないと判断できない。
― とにかく、仕事の対象への愛情がないとサバイバルできない。いやいや仕事している、長時間やるのが苦痛だという仕事では、これからは競争力が出ない時代なのだと思います。―(「私塾のすすめ」 梅田氏の言葉から引用)
今のボクの仕事、やっていてどうなのだろう?スキ?キライ?オモシロイ?ツマラナイ?どれも今はピタッとは言えないけれど、好きになっている途中段階だということだけは言えそうだ。それはまた好きになろうと努力しているということでもある。初めから好きであれば言うこと無いのだけれど。いや、きっかけは好きだからだったはずだ、確かに。でも今思うと、その好き度合が足りなかったのだろう。言い換えれば、腹の決め方が甘かったということだ。
「好き」になるためには、その対象をよく知るということが挙げられると思う。好きになるためには相手をよく知るということ。知れば知るほど好きになる。まるで恋愛だ。でも根っこの部分は同じだと思う。そうやって、知り続けること、その結果好きになること、学び続けることでどこまで好きになれるのか?それをボクは勝手に「好きになる力」と呼びたい。
知識がつき、好きになれば、行動にも変化が起こる。今までのやり方を改め、新しいやり方を試してみたくなる。それで結果が良ければ、学ぶ力にもさらに加速がつく。好きになる力も拡大する。そのように、行動を伴う本の読み方をしていきたい。
感謝。



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